All Japan University Equestrian Federation

 
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第2回 衛藤 賢二さん (麻布大学馬術部 出身)

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学馬連0B を訪ねました。
衛藤 賢二(えとう けんじ)さん
昭和23年1月22日生

簡単に自己紹介をお願いします。

出身地 大分県大分市
出身校 麻布大学

職業 : 衛藤乗馬学校経営
趣味 : 釣り
特技 : 特になし
好きなテレビ : 洋画
好きな食べ物 : 魚介類
将来の夢 : 今となっては特になし
学馬連とのお付合い
学生達とは今まで以上のお付き合いが出来ればと思っています!
学生の時楽しかったこと
苦しい事の方が多かったが、今ではそれが良き思いとなっています。
学生の時の夢
夢は色々とありましたが、やはり全日本で勝つこと!そしてオリンピック選手になること!
馬一色でした。
当時の自分を振り返ってみて
学生時代は怖いもの知らずだったと思い、今では何事にも慎重です。


総合馬術競技のコースデザイナーとしてお世話になっている衛藤さん。
コースデザインの裏話や、総合競技の見所、オリンピック選手になるための秘訣などを教えてもらいました!
総合馬術競技に出る人は必見です!

――― 普段どのようにコースデザインをしていますか。

(デザインを考える場所、時間、)
僕の場合は、総合を主にやっていますからね。まず現地を見る。自分が飛ぶときにはどう飛ぶかな?と考えます。
それとやはり競技会ですから、みんな良くても悪くても中間くらいのクラスを考えて、まぁ難度が高い部分とそれを回避して遠回りすれば飛んでいけるコースと現地を見ながら考えています。

――― コースデザインとして会心のコースはありますか

その都度いいものを作っていると思いますけど、やはり同じ障害で失敗が多ければあぁやっぱりむずかしかったかな・・・とか考えることはあるけれど、これは最高のコースだったかなというのはまだまだですね!
私はよくヨーロッパとか、アメリカとかコースを一人で見に行くけど、大地の中で作ったコースと日本のせまいところで作る障害物とは全然違うよねよね。
その点では、満足するコースなどなかなか出来ない。

ショウジャンプとちがって、外の景色と整地のマッチしたようなところに障害を置いていくから簡単にできるようにあるけど、そう簡単にはいかない。
まず、試作で低い高さに合わせていって、「ここだったら、もう少し高くしていってもいいかな。」とか。
1回でこれっていうのはないのよ。もう、10回も20回も歩いて、ちょっと角度変えるとかというようにやっています。

――― これだけは譲れないというような細かい工夫などはありますか

うーん、工夫というより、野外で総合のセッティングも、組み方も私よりできる人はいないと思っています。(笑)
それは、外国のセミナーなどは何回も行っているし、新しくなればその都度講習会をうけて帰ってくるので、ローピングとか、まねできない、俺が全部教えないと誰もできない。
穴を掘ったり、結構重労働なことや穴うちでも、釘うちでも、若い人には負けない。



――― 選手として心に残るようなコースに出会ったことはありますか

1976年モントリオールオリンピックに出場する半年くらい前からアメリカで、個人で練習しながら、競技しながら オリンピックに向かっていたんだけど、やっぱり、アメリカあたりは、すごく人馬が育つようなコース?そういう低いクラスからあるから、上に到達するのが早いんだな。と感じましたね。
その頃日本では総合コース、今で言う山梨とか、三木とかのコースがなかったから、いきなりオリンピックで、でかいの行ったから、もう下見しているときに「こりゃ、飛べないな」とすぐわかりました。
その頃は、トレーニングがそこまでいっていないもの。そういうのがあって、帰ってきて、日本でやっぱりトレーニングだけは、プレミナリーとか、今ワンスターまでやっていますけど、プレミナリークラスくらいは日本でトレーニングやっていなかったら外国に行ってもすぐに競技はできないなというので、我々私や植田元、石黒健吉、3人で総合やろうということになった。
当時はまだ26,7で、オリンピックで帰ってきても、現役を続けながら、トレーニングの指導をしなくてはいけない、コースの運営、セッティング、全部していかなくてはいけない。
馬連れて、馬術部じゃないけど土方道具もって、自分たちで木を切り出して、形作ってで、その当時はものまねだけど、今は三木ができて、山梨があるから、ワンスター、ツースタークラスまでは1つ2つのコースだけどトレーニングができるコースがある


――― 総合競技で、今後のみどころは

総合は今やっぱり社会情勢的に経済的に予算がないとなかなか出来ない小ジャンプあたりは学生のアルバイトで1日2日で出来るけど、野外のセッティングとは本当に山梨に10日前、2週間前に入って作っていくんだけどね、2、3コース作っていくんだけれど、今後はやっぱり、企業あたりのスポンサーついている形にならないと難しいのかな・・・
オリンピックのコンファレあたりも世界選手権もそうだけど、3スタークリアしないと、結局出れない訳です。
そこまで、到達するまで日本で2スターまで、3年なら3年やって、あとはヨーロッパに1年2年出て、日本で続けようとしたならば相当なバックアップが必要になります。役員も選手もそれだけの余裕がある人今後いなくなるんじゃないかな。
関東学生や、全日本学生の競技会見ていると、TOP10にくるような選手はそのままトレーニングするとオリンピック行っても、メダルも夢じゃないんじゃないかな。
ただ、そのまま続けていればの話です。今大学卒業するとやっぱり、生活がありますから、馬から離れる。


――― オリンピック選手になる秘訣は?

秘訣はないけど、生まれ持った才能?天性?それとやっぱり努力でしょうね。
いくら上手くても出れない人もいますから、めぐり合わせもあると思いますから
メンタル面だけでなく、海外の一流選手たちはスポンサーなり、チームなりでやっているので、日本もインターナショナルを狙うんならば、メンタル面のケアだけでなく、組織だって選手に対してやっていかないと上手くいかないと思う。





衛藤乗馬学校ではよくBBQをするとのこと。
また、誰にも負けないという自慢の料理は鳥の煮込み。
大学で解剖学をやったので、鳥の解体から自分でやるそうです。
衛藤乗馬学校誕生秘話や、実は日馬連に勤めていたことなどなど、知られざる衛藤さんを語ってくれました!


――― どうして馬術部に入ったのですか

本当は馬術部に入るつもりはなかった。高校のとき馬に乗っていて、獣医大学に行ったのは、学校推薦もあったし、高校のとき乗っていた馬がけがをして競技選手やるのであればやはり、そういうことも覚えたほうがいいかな、と思って獣医大学にいったのよ。
馬術をするためではなく、獣医になるため高校のときに大会で入賞していることを知っていた人がいて、勧誘にくるわけよ、はいれはいれって。
僕は獣医になりたいんで、と断ってもまだ入れってくる。
僕は馬にはまるのわかっていたから、一応は獣医のほうに専念したかった。だけどそうはいかなくなって、人より1月遅れで入部しました。下宿探したり、寮に入ったりして、忙しかったし。しつこく勧誘にこられたから。地元の先輩もいたし。
でも、はいったら地獄だったけどね。


衛藤さんが始めて新馬調教した麻勇(カリムの子)。大学2年の時(昭和43年)。

――― 学生の頃の役職

部では副キャプテン、全日では幹事。競技でこの馬事公苑に来られることは楽しかった。
麻布から出れるというので、当時部員40人で、1年で14,5人いた。
1年同士で仕事したりするのはいいけど、先輩はかわいがるのは2のつぎで、いじめることばかりでしょ。試合の運営のために馬事公苑に出てこれると楽しいもの。
競技とかはつらくなかったけど、 いつもやめようと思っていたね。1,2年のときね。
だって殴られることばっかりだもの。
でも、仲間がいたから辞められなかった。だって、辞めるっていうとみんな(1、2年皆)が辞めるっていうんだもの。
それはこまるなぁと思って。それで、なにかあったら、皆で助け合っていこうっということになって。
13人いた1年生は卒業時には8人残っていた。
みんなで、本当によく助け合って、いました。結構厳しかったよ。
麻布は封建的な一番最後の代じゃないかな。(笑)


――― 獣医の道からどうして乗馬学校経営の道を選んだのですか。

俺、卒業して、すぐ最初から乗馬学校入ったんじゃないんだ。日本馬術連盟に就職したんだ。(一同エーッ)
馬事公苑に馬がいて、前日本大学監督の後藤さんが、日本で総合をやりたいといわれて、日馬連で職員として、厩舎にはいった。10年間ここにいたよ。 獣医としてではなく、職員でいた。
その10年の間に5年ぐらい海外遠征いった。
ミュンヘンオリンピック行った連中は怪我したりして、オリンピック見るのもいいから名目は、副監督でいいから行って来いっていって8ヶ月かなミュンヘンの前ね。 それで帰ってきたらこんな役員していたってやっぱり若いときはオリンピック狙うしかないな。
で、帰ってきて、ひっちゃきになって、選考会やって通ってモントリオールにいったよ。
モントリオール行っても一回目だったから辞められないなと思って、次のモスクワ目指してみんな飛び込んでやったわけよ。アメリカ3人だとか。
で、衛藤どこ行く?といわれたから、いま強いところはオーストラリアやニュージーランドだから、オーストらリアにいきたいなということで、オーストラリアに一人で、1年はホームステイで、あと2年間は牧場借りて、馬を持って2年間やった。
TOTALで3年間オーストラリアにいた。そして帰ってきて卒業10年後に乗馬学校できたら、高校や大学のときに乗馬クラブにいけたらいいなと思っていたから。
朝2時に起きて、新聞配達をして、競技会があれば高校生やジュニアつれて出かけた。
飲みににいったら11時12時だから、寝ることがあまりしていなかった。




――― 乗馬学校では、バーベキューなど行っていると伺ったのですが、得意料理などあったら教えてください

BBQ(バ―べキュー)は毎回やっているよ。こだわりのたれをしこんでるよ、大学4年間下宿だし、海外生活も多かったので料理は得意ではないけれどこれだけは負けない料理は、鳥の煮込み。解剖やっているから全部自分で捌くよ。全部解剖して、ジャガイモと玉葱とでなべいっぱい煮付けしたり。あと、魚料理なんか全部釣りも行くし、捌きもするし。でも、やっぱり、かあちゃんの料理のほうが上手い。自分は作るのは食わないの。どうぞどうぞ、って皆に食べてもらう。


――― 和田苑長になにかありますか。

僕がここにいるときから、和田苑長のことはよく知っているけど、中央大学強くて、勝ちまくっていたからね。俺がここに入って、同じ頃競馬会に入って、庶務係にいて、先輩後輩のよき時代だったのかな。いまでも、親しくしています。
競馬会の施設は一般にもよいので学生たちにもよりよろしくおねがいします。


昭和44年の日韓馬術大会の時の写真(当時大学3年生)
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木村さん(日大) 衛藤さん 芦名さん(早稲田) 菅野さん(専修)


麻勇と神奈川代表として長崎国体に出場。(昭和44年)
最後に学馬連と学生にメッセージを

学生たちも今の時代非常に大変だと思うが、頑張ってもらいたいと思います。
学生達には私に出来ることでしたらなんでも協力していきたいと思っています。



日本馬術連盟 総合チーム大集合!!

衛藤さん、お忙しい中ありがとうございました!!

※うちのOB、OGや監督、コーチを紹介したい、インタビューしてもらいたい人などや、ご意見ご感想などありましたらお待ちしております。